Page 367 - 権五石会長の人生のエッセイ J-Full
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政   経  社   文  宗  指   養



         政治、経済、社会、文化、宗教の指導者養成所が必要だ

         私は祖父がなぜこれを私に教えたのかやっとその意味が分かった。

         どの分野にも指導者がいなければならない。
         政治の分野は政治指導者がいなければならない。

         社会の分野は社会指導者がいなければならず

         経済の分野は経済の分野の指導者がいなければならないように
         文化も宗教も、また指導者がいなければならず、教室であれ養成所であれ、す

         べては指導者がいなければならない。

         私たちが一度オーケストラに指揮者がいないと考えてみよう。

         どうやって合奏ができるのか?
         だから、どの分野であれ指導者は必要なのだ。

         ところで、指導者教本がなければ、政治の123がなく、経済の123がなく、社会

         に123がなく、文化の123がなく、宗教の123がなく、指導者の123がなく、養成
         所の123がないとしたらどうやって伝えられるのだろうか?

         それで私は政治、経済、社会、文化、宗教の指導者を養成する養成所がなけれ

         ばならないと考えた。



         第一に、政治は人事が万事だ。

         政治の教権がなければならず、政治の最も基本が何かを整理しなければならな
         い。  政治とは何か、なぜ政治が必要なのか、政治をすると、私たち皆に何らの

         政治をすることは、なぜするのか、このような定義が教元になっていて、それ

         がきちんとできていたとすれば···、、、

         今日のようにこのような争いは起こらない。
         何かをしていて、少しの人気さえあれば政治に行って、コメディアンが人気が

         あれば政治に行って

         歌より人気があれば政治しに行っちゃうし
         法典を持って勉強して、こうしていたら政治に行って

         一言で言えば、人気によって政治をするのだ

         専門的な政治家はいない。
                                                                                                      QR
         それが今日の大韓民国の混乱をもたらすのだ。


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