Page 144 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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全校のビリから最高へ…




               豊基高校時代の私の学校の成績は一番後ろから「ナンバーワン」だった。



               指  導  要  録  (成績証明書)を見ると、体育だけ「秀」で、残りはほとんどが

               「良」と「可」で、先生の同情の点数をもらったおかげでほんのたまには

               「美」も一つずつ混ざって出るほどだった。






               一言で言えば全校で「ビリ」だ。



               ビリだった私が···喧嘩屋だった私が···父の遺言に従って勉強を始めた。

               自分の名前3文字をやっと書くくらいの私が···勉強をするのはとても大変だった。

               しかし、父の遺言で···私の父が亡くなる前に私に望んでいた···



               私は歯を食いしばって···「これからは喧嘩は絶対しない。

               父の遺言どおりに一生懸命勉強する」と誓い、また誓って勉強を始めた。




































                                               喧嘩屋クォン·オソク
     QR
                             父の遺言どおり全校のビリから勉強して上位に上がる!


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