Page 348 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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そしてかたをつけて出てみると、いや最後にお金を持っていくものを全部持っ
て行っても10億以上残っていたのだ。 じゃあ、入ってきたのは150億しかない
のに、出て行ったのは210億だった。 60億は私が調達して入れたのだ。 いや、
詐欺というのは詐取した意思があり、詐取した金額がなければならないの
に、、、
むしろ私が60億ウォン持ってきたものを私が持ってきたと主張するが、、、あ
ちこちの知り合いにお金を借りて私が持ってきたと主張するが、、、その出し
た根拠は全部破って、専門経営人と本部長が全部破って、シュレッダーにかけ
て、あちこち全部剥がして、私に有利な証拠は一つも残さなかったから私を悔
しい目に遭わせて、、、、
いや、入ってきた金額と出た金額が、むしろ逆に入ってきた金額より出た金額
が多いのに、では誰がそのお金を持ってきたのかというのだ。
これを私が60億持ってきたという訴えは受け入れられず、土地も奪って行き、
人々が奪って行き、これもあれも項目をつけて全部奪って行き、さらには10億
が余るから、また取り戻させたというこの結果を見ながら、、、
私はあまりにもあきれて、そんな企業をなぜ潰すのか、とんでもない話だ。 民
事訴訟が一件もなかった。 20年の間、私は生まれて初めて警察署という所に
行って下等の法的な助けも受けることができず、最も悪質になって、、、、、
まるでその告訴状の内容にくっついてつきまとう教祖、、、と、
どうして教会の執事が教祖になるのか。いや、世の中にどうやって教祖になる
んだか。1万人の中にキリスト教、仏教、カトリックの皆がいるのに、どうして
それを教祖だとしてかぶせて、そのようにできるのかというのだ。 これは不可
能だ。
ありえないのです。
そして、どのように万人の中にたった一人も民事訴訟が出てこないということ
です。
QR
被害を見たら、どのように民事が訴訟が入らないのか言わない話だ。
そしてこれが最大の罪ではない事業です。 ということだ。
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