Page 20 - 権五石会長の人生のエッセイ J04
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研究所。研究事業というのが本当に難しいのです。ところが1992年から研究事
               業に参入しました。そしてジオビ(GOB)研究所ということを出発させました。

               そしてギガコリア(GIGAKOREA)研究所ということを出発させました。国の助
               けも受けられませんでした。


               研究所を設立するには、多くの研究者が必要です。また研究員の給料がとても

               高いです。一般の従業員よりもかなり高価です。だから研究事業をしてオンラ
               イン企業が成功する確率が少ない。だからオフライン10年とオンライン1年を変
               えます。それでは私は今30年になったので、そのような計算方式によると私は

               300年になった企業です。それから私と一緒に働いた人々が私の年齢を300歳と

               定義しました。

               それだけ難しい道を来たという意味ですね。研究所事業は、技術陣、高い給料、

               高価な機器、サーバーとか他のすべての機器、そしてソリューションとか、シ
               ステムとか、こういう技術を作らなければならず、またこれを持って商用化し

               なければならず、こういうお金を持っても難しくて人力を持っても難しい、こ
               のすべてをすることは通常難しいことではありません。今、世界中で企業が研

               究所を持っている企業は何個になるのでしょうか。

               ところで、何もなかったこのジオビ(GOB)とギガコリア(GIGAKOREA)とい

               う会社がどのように14,700ウォンでスタートをして研究所を持っているという
               考えを持たせたのでしょうか。  それは徹底した神に対する信仰心がなければ不

               可能です。私たちがイスラエル民族が乳と蜂蜜が流れるカナンの地に入るとき、
               そのような信仰なしにモーセが導くこともできず、またアロンが助けることが

               できなかったでしょう。この事業を出発しました。そして、このような確固た
               る未来に対するビジョンと価値を見なかったら、おそらくこの道に来ることは

               できなかったでしょう。

               しかし、この道はこれから大韓民国が行かなければならない道だと思うので、

               どうせ行かなければならない道なら少しでも早く行かなければならないのです。

               少しでも早く行かなければならないのです。そうすれば知的財産に対する所有
               権を持つようになるのです。今は私が評価されていませんが、今後時間が経つ

               につれてますます私の評価は変わります。なぜなら私が特許をすべて出したか
               らです。オンライン、オフラインに関して私が作ったこの技術と、これらのも

               のは今特許を基盤にして出発しました。この
     QR



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