Page 40 - 権五石会長の人生のエッセイ J02
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1.韓国体育指導者総連合会(KSLA)

               (Korea Sports Leaders Association)

               後ろを振り返って… …

               私は小学校の時に育成会費を免除されるように運動をしたし、

               授業を抜けながら運動ばかりしてみると、高校2年生までハングルもちゃんと知
               らなかった。

               漢文はただ私の名前の3文字だけがやっと書くことができる程度で、
               他の科目は何も学んだことがなかった。

               だからほぼ全科目ビリだったし、、、

               成績表を見ると、すべて良、可、可で安東権家だった私は
               「私が権家ではなく良家なのか」と思うほど成績は底だった。


               父が帰りながら最後に残した遺言のために勉強を始 めた。

               父は息を吐きながら私に勉強するように言われました。私は父の遺言を受け入
               れて勉強しようとしましたが、やっと私の名前を書くほどのレベルしかない私

               にはあまりにも告げられた道だった。だが結局はやった。

               血のにじむような努力の末、独学で2年ぶりに全校で20位以内に入る奨学生に
               なった。私の血のにじむような努力の結果は決して失望させなかった。  高校を

               卒業して母親を説得して母親からたった1万ウォンをもらって客地生活を始めた。


               たった1万ウォンで客地生活をしながら、
               数多くの韓国社会の痛みを自分自身が直接体験することになった。

               その中でも最も胸が痛かったのは運動選手たちの脱線だった。

               運動選手たちは条件上ほとんど授業をきちんと受けられず、運動ばかりしてみ
               ると、学んだのが一般学生より少ないので、一般学生に比べて思考の幅が狭く、

               運動以外にできることが他の人に比べて比較的狭いのが本当だ。

               そういえば運動だけした選手たちがずっと選手生活を続けることができず、
               途中で脱落することになりますが、、、、

               そうなれば、すぐに食べて生きる道を終えて、これができることが職業がな
               かった。

               結局は  持ったものが力しかなく、まともにすることもなくて、裏路地世界に

               行ったり組織暴力杯生活をするなど、韓国社会のがん的な存在になってしまう

     QR        のが現実だった。
               そんな姿を見ながら 私も運動選手の一人としてとても胸が痛かった。


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