Page 41 - 権五石会長の人生のエッセイ J02
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選手たちが脱線した例の一つがソジンルームサロン殺人事件だ。
結局は運動選手たちが選手生活が終わって行くところがなくて、
失業者になったり、自営業をしたり、組織暴力杯に入る場合が多い。
試合で勝つことへのこだわりのように、手段と方法を隠して組織の勝利のために
罪のない人命を残酷に害してしまう現場ニュースに触れ、
本当に胸が痛くて苦い心を禁じる道はなかった。
警察、検察の数を増やしていくら取り締まりを強化しても、
食べて生きる道がない運動選手が行く道は火を見るように明らかだった。
無条件に事件を犯すことができないようにひねるだけではなく、
運動選手が生きる道を開くことが何より重要だった。
しばらくもない運動選手が占めるべき職場さえ、
一般人が入ってきて占めてしまうと運動選手たちは食べて生きる道が幕を閉じる。
運動選手が立つところはどこにも見えなかった。
例えば、仏教団体、キリスト教団体が体育者たちが食べて生きなければならない
場を専門性もなく押し込んでいく高位は彼らが全部引き受けてしまい、、、
低い席は運動選手の何人か、彼らに渋滞して分けて与えて運動や教えるようにす
るので、どんな専門性があるのだろうか。
何一つ適切になりますか?
宗教や特殊な団体は自らの専門性に戻るべきだ、
力があるからといって押して入ってきて力のない人々の領域を侵犯するなら、
私たちの社会はいつまでも混沌とした生活の連続であろう。
どこ宗教だけだろうか?
行政もそうだ。
ジムが働く席の中で、
良いと思われる席はほとんどパラシュートの挨拶で満たされているのが現実だ。
運動選手に彼らの分け前の仕事を返すか、
新たに作らなければならないことが緊急だ。
だから私は堂々と管楽区庁長から、、、
社団法人韓体連(KSLA)が管楽スポーツセンターの運営管理契約を引き受ける
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ことができるように、体育指導者の名分を前面に出してその権限を獲得した。
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