Page 136 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
P. 136
危機について
危機という意味は
「危険と機会が共に来る」ことであると私は生を通じて学んだ。
(危険+機会=危機)
危険という言葉は私たちがあることをする時… 自分が望まないある状態に達し
た時... それを私たちは「危険」と呼ぶ。
人につけると命が危ないし… 仕事につければ仕事がうまくいかない危険にさら
されて··· いずれにせよ
危険とは…「私たちが望まないある状態になるようにする重要な時点」をいい、
機会とは…「あることを成し遂げることができる最も良い時期」をいう。
ところで相反する単語二つを連結してみると···「危機」になってかなり難しい
時期という意味の単語になる。
言い換えれば、うまく使えば薬になり、間違って使えば毒になるという意味だ。
この世を神様が創造し、蛇の誘惑に勝てずアダムがエデンの園の善悪果を食べ
て追い出される瞬間に危機の語源はさかのぼらなければならない。
危機は明らかに機会だ。
危機を賢明な人は機会にして… 愚かな人は危険に導く。
危機が来た時は落ち着いて緊張しなければならない。
私がなぜ危機をアダムとハワまでその根源を引っ張っていくのかというと…
エデンの園を追い出される時、男には死ぬまで汗を流して仕事をしてこそ土か
ら収穫をし… 女には産の苦しみを教えてくれた。
(男の汗+女の産の苦しみ=危機という境界が出る。)
男の汗は機会と努力を意味し、女の出産の苦しみは危険と痛みを意味する。
男が汗を流して努力すれば機会が来るが、必ずしも汗を流したからといって全
て成功するわけではないということと、女の出産の苦しみは子供を産むとき死
ぬこともありうるほど危険なのだ。我々がある機会を作るには、血のにじむよ
うな努力をしてこそ、その機会を得られるのだ。 学生は一生懸命勉強してこそ
試験に合格する機会を得て… 運動選手は一生懸命汗を流してこそ、試合で良い
QR
成績を出す機会を得られるのだ。
136