Page 138 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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監査について(獄中で)
これから私の人生にどんな危機が
来ても感謝するつもりだ。
ここに来て私は感謝の意味が分かった。
感謝というのは誰かが私を助けてくれた時にすることだが、ここで私が学んだ
ことは必ずしもそれだけではなかった。
私が濡れ衣を着せられたことに対してむしろ感謝すべきで、私を悲しませたこ
とに感謝すべきで、私が苦痛を受けることに感謝すべきで、私が理解できない
ことにさえ感謝すべきであること等など、まさに凡事に感謝することだった。
ここに来て私の生を振り返り、反省し、取り返す力を得ることになったのだか
ら、なんてありがたいことだろう?
私が働いていたそこにいると、私事の多いことに苦しめられてストレスを受け
るようになり、過労によって死ぬかもしれないのに、ここにいるとストレスを
与える人もいないし、過労することもないから、どれほどありがたいことか?
そこに運動を通じて健康を管理できるから、さらにありがたい。
このように濡れ衣を着せられて獄にとらわれてみると、最初は目の前が真っ暗
だった。しかし、時間が経つにつれ、主から与えられた知恵で、与えられた状
況に感謝し、不完全な現在の自分自身の状況に役立つ、人生の知恵を与えられ
た。
ここにいても助けの手が見えたし、時には教えるべき人々がいたし、また、私
が保護すべき人々が見えた。
ここにいる間、私はいつの間にかここにいる人々の大人になっていたし、彼ら
が私の言葉に耳を傾けて、自分たちの罪を悔んだり、聖書の勉強もして、一つ
一つ変化していく彼らを見ると、本当に嬉しかった。
領置金が入ったら食べ物を買って配るのが私の仕事だったし、 喜びだった。
私はここに私と一緒にいる人々のために祈りながら過ごした。
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ある意味、神様がここの人々を救済しろと送ったのかもしれない。
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