Page 30 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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父は輸血でかろうじて命を延長して行き、血の値段で、病院の治療費で、お金

               を出したため、家族の暮らしは長い病気の介護で大変だった。



               そのように苦労するだけで結局は亡くなった。




               訓長先生の祖父は豪快で、事業も上手で、財力家で、
               家族をとても大事にしていた人だった。

               その反面、父は無能力で自分と家族よりは友人と隣人の面倒を見ていつも病気

               で一生を過ごして亡くなった…



               今考えてみると、あまりにも自分自身が愚かだった。

               父もそんなに無能力になりたくて無能力だったのだろうか?
               どれだけ父がしようとしていることが上手くいかなくて、

               どれだけストレスを受けていたら、家にいる母に腹いせをしただろうか?



               私が幼すぎて手伝えなかったし、

               またそんな父の苦い中を計り知れなかったのが私が大人になって考えてみると

               すごく寂しい。

               父は私がサッカー選手になり、私が参加するサッカーの試合の場所ごとに訪れ
               ながら隠れて応援するのが唯一の落ちた。

               父はいつも私に申し訳ありませんでした。



               たとえ一度もすまないとは言わなかったが、私は胸でそれを感じることができ

               た。

               父は自分ががよく食べさせることも、よく着せることもできないのに、運動選

               手として熱心に走る私の姿が内心感心したのか、いつも私一人がうまくいくこ
               とを願う気持ちで、どんな競技場にもついてきて私を見守ってくれた。




               しかし、ゴロゴロしてみすぼらしい衣服を着た父親を誰かが気づいたらどうし
               ようと思って、私はただ一度も友人たちに私の父親とは言わなかったし、むし

               ろ誰が私の父親だと言うのではないかと恐れた。
     QR




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