Page 46 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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夢を育てる
私が育った時、つまり私が10代の時は白黒テレビだった。
それも持っている家が町にいくつもなく、皆同じ家に集まって見る時だ。
ある日、テレビを通じてブラジル出身のサッカー選手のペレがボールを蹴る姿
を見た。
とても素敵な姿が演出される。
ドリボールをしながらボールを蹴って、素早く打って入る… ボールを奪ったり、
そうしてボールがゴールに入ったら···
ボールを蹴ったペレはもちろん、観衆も歓呼し、私と一緒に見る人たちも喜ぶ
のを見た。
その姿を見ながら私もペレのように世界的なサッカー選手になりたいという夢
を持つようになった。
それで、他の誰よりもサッカーを頑張ったのかもしれない。
「夢…」
その時知ったことだが、夢があるということは人を疲れないようにしてくれて、
いかなる逆境の中でも絶望しないようにするということだった。
私が運動した時、我が家の事情はまさに最悪だった。
18人のサッカー選手の中でも最悪の家庭環境だった。
しかし、私は世界的なサッカー選手になるという夢があったから、一度も絶望
しなかった。
サッカーは私の人生のすべてであり、私は夢でもサッカー試合をする夢を見た。
それくらい私の人生のすべてはサッカーだった。
このようにしようとすることに集中して突進して邁進する私の根性私の気質は、
後日ジオビ(GOB)事業を作らせる土台になった。
これは「五星精神」の最初の部分となる
「私は夢を持った人だ。」だ。
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そのように私はいつも夢を持ち、夢を実現させるために一生懸命努力してきた。
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