Page 51 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
P. 51

その理由は父親が亡くなったところが安東で、私が安東権家だからなおさら

           だったようだ。  私が試合をする時は父があれほど陰で咳をゴロゴロしながら
           も歓声を上げていた。




           私が最優秀選手賞をもらう誇らしいその瞬間にも、

           父は目立たないようにどこかで隠れて私を見ていた、
           私は父の咳の音がする場所にあえて背を向けようとした。

           それがいつまでも心の借りとなり、長年が経った今でも父にとても申し訳な

           い。



           当時のサッカーは私の人生のすべてだった。  私はサッカーなしでは一日も生

           きられなかった。
           しかし、私は家庭の事情でいろいろな所を移らなければならなかったし、

           移るたびに1年生に入った。

           小学校でさえ他の人は6年でやる過程を私は7年間通ったため、
           体育中学校に年齢のため転校できなくなった。  必ずサッカー選手として成功

           したかったが、年齢のため体育中学校進学の夢を諦めなければならなかった。

                                         「ああ、悲しい……」

            こうしてやった少年の夢は、あちこちの石の根に打って傷だらけになった。

           その悲しい期間をどう過ごしたのか··· それは私の人生で最も悲しい事件の一

           つであり、今でも胸が痛む話だ。

           多くの日を苦しんでいたと記憶される。  体育中学校に進学してサッカー選手
           に成長しようとした少年の夢はこのように壊されなければならなかった。




















                                                                                                      QR




                                                     51
   46   47   48   49   50   51   52   53   54   55   56