Page 49 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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五星から五石へ、57年生まれから59年生まれ(小学校7年生)
サッカーで輝かしい瞬間を後にして、もう中学校に進学する時期になった。
卒業して中学校に進学する夢に浸っていた。
「どの中学校に行こうか」、「誰はどこへ行くのか」
というのがお互いの気になる事項であり、私と1人か2人はいくつかの学校から
連れていこうとした。
私は自分の好きなサッカーを学費を払わずに通うために始めたが、自分がとて
も上手なのがサッカーなので自動的に体育中学校に行かなければならないと
思った。
ところが、学校から人々が両親を訪ねてきた。
理由は…
慶尚北道教育監杯連続3年優勝すれば、優勝旗を学校で保管できる栄光を持つこ
とだ。
現在うちの学校は、
「道教育監杯2年優勝をし、もう1年優勝すれば、3年連続で優勝することになり、
そうすれば栄光の優勝旗を豊基小学校で永遠に保管することになるのだ。
「この大きなことをオソクさえいれば十分勝算がある」として両親を説得させ
る。
進学からすべてを手伝うから、私をもう1年豊基小学校に置いてほしいというこ
とだ。
両親はあまりにも世間を知らなかったので、学校側の切なる要請を断れず、結
局承諾することになった。
そのため…···
私は他の人たちは6年で卒業する小学校を1年加えて7年通うことになって···
後輩たちと試合に出ながらも、とてもぎこちなかった。
その日以来、私は同窓会にも出られなかった。
後輩たちの期数に行くこともできなかったし、同年の期数にも行くこともでき
なかったので、
自然に同窓会に出なくなり、すぐに友達と仲はぎこちなくなってしまった。
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