Page 54 - 権五石会長の人生のエッセイ J02
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韓国でもKSLAを法人として承諾を受けるのにあまりにも多くの苦労をした。
それは大韓体育会と国民生活体育会という既存の体育関連競争団体が
あったからだ。
だから私は今でもKSLAを呼吸しています。
そのように世界も同じだ。
選手生活はちょっとだけで、
選手生活が終わって選手たちが食べて生きることができる条件を造成しなけれ
ばならないが、
誰も気にしないで目をつけないから
派手なスポーツ選手時代が終わった後、有名な人はそれほどでもないが、
残りの選手たちはほとんど生きる道をよく見つけられていないのだ。
それはただ我が国だけそうではなく、世界的な傾向だ。
IOC委員は国家別に1人~2人程度しかならない。
IOCという制度圏に入ることもできず、数多くのスポーツ関係者は90%以上が彷
徨っている。
私がお金を稼ごうとする理由は
お金を少し稼ぐと私は世界の有名スターを全部呼んで、
チャムシルジムのような場所で
世界体育指導者総連合会本部が韓国に誘致されたことを公式に
世界満房に知らせようとするのだ。
そして、 100以上のカテゴリー別の有名スターに飛行機票と体制費用を
全額支援してくれて任命状を与えて同参ケした後、
世界体育指導者研修を韓国で行う予定だ。
私はそのような考えで
江原道横城に12万坪の研修院敷地を設けておいたのだ。
今は企業の研修員として使ってすぐに空が私に機会を与えるなら、
WSLAの本部としてそこを使用しようとしています。
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