Page 116 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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スホのお母さん




               1990年度のことだった。
               私が世宗大学の大学院に通っていた頃だったようだ。

               スホのお母さんという方が月会費を払って孔陵テニス場で運動をしていたが···

               人々に何度も月の会費が高い··· レッスン費が高い··· とにかくちょっと面倒な人

               で··· 学校からテニス場に来ると、その人を相手するのが私には大きなストレス
               だった。




               そんなある日、

               大学院の期末試験が明日なのに仕事が多くて勉強できなかった。  その夜、徹夜
               して一夜漬けをするしかなかった。

               それで、妻に食べ物を準備しておくようにと言い、

               ちょうど勉強しようとしたら電話が鳴った。
               私は一夜漬けの勉強をしなければならなくて、電話に出たくなかったが、出た。

               「もしもし」と言う前に···

               スホのお母さんが泣きながら話をするのだ。
               ソウルが他郷なので親戚もいないし、それで電話したと言いながら···

               実家のお父さんが亡くなったが、家に姑と二人きりだし…

               夜も遅くてどうしようもないから助けてほしいということだった。



               私はちょっと迷ってから答えた。

               スホのお母さんというとアレルギーを起こすくらいだったから、しばらくため

               らった。
               しかし人が死んだというのに···そして知り合いが手伝ってほしいと言っているの

               に、断ってはならないと思って住所を尋ねた。

               ○○洞○○デパートの裏にある○○アパート○○階の○○号室だった。
               私はそこに行きながら原子力病院に勤めていたイ○○さんとイ○○さんに電話

               をした。 (今も診断放射線科に勤めている。)

               「すみませんが救急車1台を○○に送ってください。」と頼んだ。

               しかし、病院では事故で死んだ人でなければ、死んだ人を霊安室に入れないと
     QR
               いうことだった。


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