Page 108 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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キリスト教
忙しく過ごしながら、一方で私は本当に多くのことを考えた。
「生と死に関して生は何であり… 死は何であり…
「どう生きてこそ人らしく生きることで、どう生きてこそ上手く生きて死ぬこ
とができるのか?」
私はこの質問にいつの間にか宗教的に接近していた。
我が家は伝統的な仏教の家系だった。
家族全員が仏教を信じていたし…キリスト教徒は一人もいなかった。
でも不思議なことに、私はしきりに教会に行きたかった。
私は豊基の東部教会を小学校の時からずっと通ったし…
音痴ながらも(音楽のドレミが分からなくて)聖歌隊に入って金魚のように口
だけパクパクと開いた。 聖歌を歌うためというよりは… おそらくその歌を歌う
のに参加する間、何だか分からない故郷のような居心地の良さを感じることが
できたようだ。
そしていつも教会は熱心に通った。
大変で困難な時はさらに教会を訪れた。
多分私が脱線しないでサッカーや軟式庭球をしながら…
挫折して辛い時に新しい夢と目標を再設定して…
また挑戦できたのは、今になって思えば、まさに神の助けによる信仰的な力で
あり、もう一つは母の私に対する信頼があったためだと思う。
私は幼年時代、父、母が私を一番信じてくれたし、祖父はもっと大きく私を信
じて期待したが…
オユン兄は私のことをほら吹きだと思っていたし…
年を取っても私がすることはいつも不満だった。
兄は豆を植えたところに豆が出て、小豆を植えたところに小豆が生えるという
性格で、一つをあげたら一つをもらわないといけない… 決まっている枠組みだ
けが存在すると信じている人だったからだろう。 家族はただ家族として考え、
平凡だった。
私は夜明けの祈りにもたくさん出たし、数多くの祈りも捧げたが、神様はまと
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もに知らなかった。
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