Page 387 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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人間は皆同じなのに、ただ教育を通じて自制するのです。
同じようにそうなんですが
仏教は自分自身を捨てて自分が仏になるという意味ではないですか?
それがまさに最高に達する過程ではないですか?
では、果たして私たちが自分自身を捨てて、そのすべてを捨てて五逆で全部捨
てて、それを自分がそんなにきれいで素敵な人になれますか?
まさにそれを修養するのが瞑想ではないですか?
瞑想は自分を捨ててきれいに
欲をすべてなくすことが瞑想の過程であり、仏教の最高の境地ではないです
か?
ところで、それは可能ですか?
その次にキリスト教とは何ですか?
私の中に二つの考えがあります。
汚くて悪い考えがあります。
フロティヌスという中世の哲学者が物質、心、魂の3つを話した。
物質の世界と心の世界と魂の世界がありますが、
物質の世界は罪しかなく
心の世界は、右往左往、好き嫌い、こう葛藤の連続な心を持って生まれ、
魂の世界は物質と合わさって様々な動植物として作られるが、
質料に魂がどれだけ多く合わさるかによって高等生物になったり下等生物に
なったりして、ここで貴卑が決まる。
魂に合わされない残りの質料はただ石のような無生物として残る。
そんな中、物質の世界「Guilty」すなわち有罪の世界
いいお茶を見て飲みたいし、社会的なソーシャル地位を ポジションを高くした
いし、また尊敬されたかったんです。
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