Page 390 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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自分の子供が道路交通法に違反しました。

               父は裁判官です。
               その裁判官の前に息子が立った。

               裁判官が尋ねる。

               「お前の名前は何?」

               「お父さん、私の名前も知りませんか?」
               「私の家はどこ?」

               「お父さんは正気ですか? どうしてあなたの家も知らないんですか?」

               こうやって話すんですね。
               これで判決を下します。

               下すとき、息子は思いました。

               「お父さんはみんな大目に見てくれるだろう」って、、、、、
               さて、裁判官の父、法服を着ている父は、ハンマーを叩きつけます。

               「400ドルに処する」

               子供は裏切られたと思いました。
               「どうしてお父さんが…」と裏切られたような気がした。

               父が法服を脱いで、今や子供の前に来ます。

               来て、息子のジョンに「行こう、ジョン」

               そうした時、ジョンが私はお父さんと相手にしないとどうして私を罪人にして
               おいて一緒に行こうというのかと問い詰めました。

               すると父は「私はお前がどんな罪を犯したのか分からない。」

               言い換えれば、父は父の公的な仕事を正しく遂行したのです。
               「私は私のすべきことをしたわけで、お前は私の息子だ」

               役割があるのです。

               私たちが人間だから数多くの罪を犯して生きるのは人間だから、そうするしか

               ないということです。
               人間が二つの心を持って生まれたから、それで悪い心と良い心を持って行ける

               から仕方ないということを神様が知り、私たちが罪を犯すしかないということ

               を知り、私たちのためにあなたの最も大切な独生者をこの地に送ってくださっ
               て、彼を十字架の愛から殺すことによって私たちを救われるようにしてくだ

               さったという事実が私たちが救いの喜びです。
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