Page 385 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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私が幸せになるために人間関係に参加して、私がそれを演奏することでそれを
見る人が幸せになって
このようなことが幸せを伝えるこのような通路がまさに文化だ。
それで人間が人間らしく生き、人間が人間らしく生きながら他人を幸せにする
ことも十分だ。
そのため、文化を共有し、文化を共にし、共に生きる文化のためには、文化指
導者がいなければならない。
それで私が政治指導者、経済指導者、社会指導者、文化指導者を養成しようと
したのだ。 そのため、このような養成所を設けようとしているのだ。
そして宗教、この宗教は人によって信じられているものが違う。
男女の間でも私があの男が好きだけど、私はあの女が好きだけど、、、
しかし、そんなにかっこいい男だとしても、そんなにかっこいい女だとしても、
数日過ごしてみると退屈になる人がいる。
この人は自分が虚像を見たのだ。
ある人とは一緒に経てば経つほど、その人の素顔を知れば退屈せず、もっと長
く行きたいし、もっと遠くに行きたいし、そのようなことがまさにこの信心と
信頼だ。
信頼と信心は個人間にも信心と信頼があるように、私たちが作った社会の理想
だ。
言い換えれば、私の父は弱くて釘も一つまともに打てなかった人です。
そんな人が私をこんなに精巧に作ったとは信じませんよね?
私は第三の誰かがいるということを私は信じています。
それが神様だということを見ることはできませんが、私はその方がいるという
ことを信じます。
その信心は目に見えないものです。
目に見えないが信じることそれが信心です。
目に見えるものを信じるのは信心ではありません。
それは誰でもできることです。
だから信心というのは目に見えませんが、自分があると思うそれを信じること、
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それがまさに大きな信心でしょう。
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