Page 394 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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祖父はそんな私をとても誇りに思い、それが人間だと言いました。
友達のために自分が持っているものを潰して出すこと、
それはお前の素晴らしいところだとほめられたが、他の人はそれを理解できな
い、、、
祖父は私に指導者になる方法を教えてくれたのです。
それで指導者が何なのか考えてみました。
指導者というのはろうそくが自分を燃やして世の中を照らすように
自分の有益のために生きていくのではなく
塩が塩味を出すためには、水に溶かさなければなりません。
自分の形を持っていると塩味が出ません。
砂糖が甘みを出すためには溶かさなければなりません。
溶かすとは何か、人においしいもので、人に楽しんでもらうこと、
これが犠牲の「Sacrifice」です。
だから私は指導者の最大の徳目は犠牲だと思います。
ろうそくが自分を燃やして世の中を明かし、ろうそくの使命を果たすこと
塩が塩味を感じさせてくれて、 多くの人に食べ物をよく食べさせてくれて
自分は地球上で消えるもの
砂糖が甘みを出して、みんなが美味しく食べて 自分をなくしてしまうけど
自分の使命を果たすこと
それが使命であり、指導者の使命は自分を捨てることにあります。
指導者が偉ければ世の中が崩れるようになっていて
指導者が献身的で、指導者が奉仕的で、指導者が自分を犠牲にすると
その社会は生き返るのです。
そのため、指導者に対する徳目はきちんとした知識がなければならない。
「Knowledge is power」 「知識は力なり」
知らない指導者がどうやって指導できますか?
音楽を教えるには音楽を知らなければなりません。
演奏をするには演奏を教える方法を知らなければなりません。
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