Page 393 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
P. 393
政治、経済、社会、文化、宗教
これらのそれぞれの指導者の良心が必要だ。
それで指導者を養成する所「養成所」が必要だ。
養成所は「ヴィレッジ·スクール」だ。
昔、韓国にはそれぞれの村の子供たちが学べる寺子屋があった。
これは中国の影響を受けて文を学ぶところだった。
私の祖父は寺子屋の先生だった。
祖父は寺子屋で文を教え、町内の大人たちを教えながら、私はそれを見ながら
育った。
教える指導者の姿は、私は育ちながら見て感じたことがあります。
祖父は自分を犠牲にしました。
町のために歩き回り、いやなことを全部してくれて
法事の時の紙榜の書き方を教えながら、
これが何を言うのかを小学生の私に教えてくれて、
町が困難な時、町をどのように助けるかを教えろと、
町をうまく治める方法を教えてくれた。
村長のすることは何で、
洞長のすることは何で、
郡守のすることは何で、
また全国の大人になって国主がすることがどんなことだと、
こんなことを私に教えてくれた。
それで私はその時、指導者が何かを知った。
そして町の小さな大将になるためにおじいさんは私に小遣いをくれた。
それで蔵から人情がわくと私にはお金がいつもあふれてることにして、
町にいるチビたちを呼んでアイスケキも食べさせたりして
そしてある時はお金が足りなければ、お金がない時は伯父の蔵にあるニンニク
の茎を持って行き、アイスケーキと交換してちびっ子たちと一緒に食べたり、
また伯父の真鍮の器を曲げて飴を交換して食べたりたり、、、
QR
393