Page 57 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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そして私はすぐ大邱農林高校に転校手続きを踏んだ。
荷物を持って行って、興奮して、嬉しくて、浮かれて、どうしようもない喜び
に···踊ってないだけで、私の心はリズムに合わせて踊っていた。
大邱から豊基に行く汽車の中で世界的な軟式庭球選手になる夢を見ながら…た
だ楽しかった記憶が今も私の胸がわくわくする。
ところで… ありゃ…
転校しようとするのにまた問題が生じた。
私が転校するには、これまで育成会費から免除してくれたものをすべて払って
行けということだった。
あまりにも呆れたが、学校が軟式庭球部を生かして学校の名誉を輝かせようと
する学校側の立場はあまりにも頑強だった。
そのような学校側の立場もある程度理解できたが、私にはサッカーに次ぐもう
一度の大きなショックだった。
実はもう少し広く考えてみると、豊基出身の中から軟式庭球韓国代表選手が出
てきて、世界的な選手になれば長期的にはずっといいのにと思ったが、
学校側の主張は頑強で、私はもう一度他人によって夢が挫折してしまった。
空が崩れ落ちた。 息が詰まるようだった。
どうしたんだろう?··· あふれる涙に耐えられなかった。
隠すことができなかった。
億丈が崩れるのはこんなものなのか? ···
青少年期にある感受性の敏感な少年として、
一度でもなく二度も他人によって、貧しいという理由で、
夢が挫折しなければならないということを受け入れるのは容易ではなかった。
あまりにも心が傷んで、初めて裏部屋にできるだけ誰もいないところを向いて··
····
ドアを閉めてしばらく泣いた。 いや、数日もそうしたと思う。
QR
泣いて疲れたら眠りにつき、また思えば涙が流れ… 何もしていなかった。
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