Page 60 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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父の運命
その頃には父の健康が次第に悪化していき、
いつの間にか危篤な状況にまで至った。
身動きも大変で、ひどい咳と高熱でそれこそ最悪の状態だった。
そんなある日、父親が危篤だという連絡が授業中の学校に飛んできた。
家に走った。
すぐに私は父を連れてタクシーに乗った。
安東聖水病院に走るタクシーの中で息をあえぎ苦しんでいる父の姿を見ながら
残念がった記憶が今も生々しい。
その時、心の中で「お父さん早く亡くなってください。」と話したことが長い
歳月が過ぎた今も申し訳ない。
「そんなに苦しい思いをするくらいなら、楽に去ってください。」というもど
かしさの思いだったが…
そのような気持ちを少しでも持っていたことが、長い後もとても後悔している。
「しくしく…しくしく···お父さん~ごめんなさい。」
父は急いで集中治療室に入り、すぐに安定を取り戻した。
ところが医師の言葉が「一日を越えない」ということだった。
母は私を父のそばに必ずいさせて、
最後に息が急に苦しくなる時、母はそっと私を押して父の手を私が握っている
ようにした。
兄には申し訳なかったが、父が生きている間私を一番大事にしてくれたから、
母は私に父の遺志を直接受けてほしかったようだ。
父は苦労して私にいくつかの頼みを言った。
「人は必ず学ばなければならない。 オソク、お前は聡明だから、もう少しすれ
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ばすぐうまくできるよ。 学ばなければならない。 学ばなければならない···」
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