Page 381 - 権五石会長の人生のエッセイ J01
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그 사회의 모토는 내가 아니라 우리이고, 나도 그 구성원 중 한 명이라는 사실을
가르치면서 사람에 대한 것을 알려야 하는데... 요즘...
'통마사건'을 보면서 이기적인 사회가 그런 범죄를 만든 것이다.
그래서 사회는 나도 존중받아야 하고, 다른 사람도 존중해야 하는 것이다.
그래서 서로 존중하고 존중받는 것을 교육을 해야 하는데,
그것이 바로 정경사 문종지양에 사회지도자, 양성교수를 만들려는 노력이 여기에
있는 것이다.
次の「文化指導者」
文化も私たちが人生の何が幸せだと言えるだろうか?
幸福はもともと存在していたわけではない。
それを幸せだと私が感じたら幸せになるのだ。
一千万ウォンでもお金がないと考える人は貧しい人になることであり、たった1
0万ウォンでも幸せに思う人は幸せな人になることだ。
韓国の昔話に「千石屋」というのがある。
お米を999俵を持っている人が1俵がないと嘆く、、、
1俵を持っていても、このお米があることで、私が今日おいしくご飯を食べら
れると思うこの満足できる暮らしの幸せは、規模の経済ではなく、感じの経済
だ。
自分が何を感じるかによって幸せになり、自分がどこを眺めるかによって不幸
になるのだ。
幸福と不幸はどこから来るのか? まさに私が享受する文化、考えることによる
文化からだろう。
文化をよく楽しむことができる人は幸せな人であり、
文化をよく楽しむことができない人は不幸な人だ。
そのため、同じコーヒーを飲んでも幸せと不幸がある。
例えば、
2万ウォンのコーヒーを飲みながらも、喜びが何なのか分からない人にとって、
それは幸せではない。
200ウォンのミックスコーヒーを飲みながらも、それで幸せに思う人は幸せな人 QR
だ。
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